10/03/17 21:44:17 P
(>>1の続きです)
政治不信は運動論にも表れる。彼らは日本会議など従来の保守団体を「会議で議論ばかり。我々は行動する」
(桜井誠会長)と批判する。一方の日本会議は「私たちは時間をかけても、政治や行政に働きかけ、法や制度の
変更を目指す」(江崎道朗専任研究員)という。
時代の気分にも根を張る。「スパイの子供」。彼らは、朝鮮学校前でこう騒いだ。拉致問題を背景に、朝鮮学校を
高校無償化の対象から外すことを検討する政府の発想と重なる。
経済規模で日本と並んだ中国への警戒感も働く。「このままではのみ込まれ、日本はチベットのようになる」。
外国人参政権反対デモに参加した2女の父親という国立大の男性職員(45)は語った。
社会の流動化や閉塞(へいそく)感、国際環境の変化に対する危機感……。先の見えない日本への不安に、
運動が油を注いで、極端な敵意を膨らます。
東西統一直後のドイツで、若者に「外国人は出て行け」と突き飛ばされた経験のある大阪大大学院の木戸衛一
准教授(ドイツ政治)は「在特会は、人種差別的なヘイトクライム(憎悪犯罪)をあおっている」と見る。「人種差別
撤廃条約を批准しながら、日本は差別を禁じる国内法の整備を留保してきた。ドイツ刑法の『民衆扇動罪』の
ような歯止めが必要だ」と指摘する。
【関西学院大の鈴木謙介助教(社会学)の話】
市民参加の保守運動が登場したのは90年代後半からだ。「新しい歴史教科書」の運動が先駆け、拉致問題で
保守世論が盛り上がり、その延長に在特会が生まれた。世の中全体では少数派だが、ネットの発信力で
潜在的な支持者を開拓し、街頭行動を呼びかけ存在感を増している。参加者は、行動は過激だが、社会的
関心が高いという意味でマジメ。これまで市民運動と言えば「左」で、「右」の受け皿が育っていない。保守的な
ものを求めると、過激な団体に流れるほかない不幸がある。より極端に走る人々が現れると怖い。
(以上になります)