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(>>1のつづき)
14年春、教員から「独裁者」と反発されながらも、職員会議の規定について「校長を拘束する」
として無効宣言した上で《職員会議は校長が主宰する》との内規を設け、校長の補助機関と
明示した。
校務運営にも携わる主任らの人事権を組合主導から校長の任命制に変えるなど、組合の
抵抗を封じる改革を進めた。そして15年10月、職員会議で常時掲揚を報告しただけで
校舎屋上に国旗を掲げた。
校内で混乱はなかったが、その後に府教委と府立学校の各校長が参加する1拍2日の研修会が
京都・嵐山で行われた際、府教委から横やりが入った。
大広間での夕食。府教委の幹部職員が突然近づいてきて、「あの常時掲揚は何や。学習指導要領に
規定があるのか」と大声で突っかかってきた。周囲は静まり返った。辻村さんが「府庁に掲げられた
国旗を降ろしたら私も降ろす」と冷静に応じると、職員は引き下がった。近くにいた当時の教育長は
職員を制止せず、黙って眺めていたという。
「現場でもめることを避けたがる府教委は国旗に終始弱腰だった。国歌も同じ。子供が『君が代』の
歌詞を知らないので卒業式の式次第に印刷すると、幹部がすぐに苦言を寄せてきた」
辻村さんが16年春に退職した後もこの高校では常時掲揚が続けられているという。ただ、府立
高校を含む官公庁での国旗掲揚を求める決議が昨年末の府議会で可決された後、新たに
常時掲揚を始めた高校がゼロであることが市民団体「大阪の教育を正す府民の会」の調査で
判明している。
辻村さんは「府教委の指導は足りないが、校長も指示待ち人間では駄目。校務に全責任を負う
校長が決断すればすぐにできる。国を思う気持ちを子供にもたせるためにも、国旗・国歌では
絶対に妥協してはならない」と話している。●=品の口がそれぞれ刀 (以上)