10/02/28 10:25:51 Sz/HaDpP0
ネトウヨが自由意志とと誤魔化す官斡旋の実体
朴キョンスル氏
村に二人の(官あっせん)割り当てが来た。これに応じると農業がだめに
なるので誰も行きたがらなかった。仕方なしに皆でクジを引いた。その結果、
自分がその一人に決まった。
チョウ・チョンギュ氏
新婚一年のある晩、二人の警官に連れて行かれた。(生野)鉱山ではラン
プを落としたため、ひどく殴られ耳が聞こえなくなってしまった。
奥さんは「日本人を斬りつけたかった」ほど憎かったとのこと。
宋允鎬氏
23才の時、区長(?)に日本へ行かないかと誘われた。迷っていると
「いま行かないと、次は強制的に連行されひどいことになる」といわれたので
応じた。
咸安郡からは100人が20人ずつの隊になり、労務係に率いられ連れて
いかれた。生野鉱山では事故が多く半年でかなりの人が死んだ。その事故の存
在や処理について会社は一切皆に知らせなかったので、うわさで聞くのみであ
った。
飯場は監視され外出の自由はなかった。また一日の休みも与えられなかっ
た。賃金は一日2円だったが食事代や強制預金など差し引かれ、ほとんどお金
はもらえなかった。そのうえ食事はひどく、いつも空腹に苦しんだ。さらに仕
事が苛酷なので逃亡者が多かった。ただし見つかると皆の前で見せしめにとこ
とん殴られた。
逃亡率
資料名 逃亡率 逃亡者数 期間
資料1.内務省調査 30% 109,185 ? ー43年6月
資料2.高等外事月報 33.6% 260,452 39年ー43年
資料3.法務省資料 (30.7%) 222,225 39年ー45年3月
資料4.公安調査庁 (31.3%) 226,497 39年ー45年3月
労働後
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