10/02/25 22:22:38 UEVbB39g0
アメリカは当時、ベトナム反戦運動と公民権運動、ケネディのリベラル思想が席巻し
リベラル派が推進するヒッピー集団のフリーセックスは反戦の象徴であり、
フェミニズム運動の象徴でもあった。
フェミニズムイデオロギーに強い影響を与えたのは、有名なアメリカのケイト・ミレット氏
彼女は「結婚制度と家族を完全に破壊することが理想社会を建設するために
必要であると主張した過激派である。
そのフェミニズム団体は、急速に支持を広げ、巨大な政治的勢力に成長し、
女性差別を根絶すると称して憲法改正案を要求したのだ。
アメリカではこの憲法改正をめぐって、十年間にわたってフェミニスト側とアンチフェミニスト側
との間の大論争がマスコミや州議会を舞台に展開された。その結果、フェミニズムの主張は
デタラメな根拠と嘘の上に成り立っていることが暴露され、憲法改正は廃案となった。
公開論争を通じてフェミニズムが過激な思想であることを大多数のアメリカ国民が
知ることになり、憲法改正を拒否したのだ。当然ながら、アメリカはフェミニズムを体現した
後の国連の女子差別撤廃条約も批准していない。
しかし国連、女性という大儀名文に弱い日本は、この国連の女子差別撤廃条約を批准し
まもなく国内法としての男女共同参画基本法を大多数の国民が知らぬまま成立させたのである
つまりアメリカで起こったフェミニズムは国連に1985年、女子差別撤廃条約を作らせた
しかしそのあまりに危険な思想のため当のアメリカでは否決されたのだ
しかし国連、女性という大儀名文に弱い日本はごていねいに可決しその後
男女共同参画社会基本法の可決となったのだ