10/02/19 06:55:08 j0xG3UeU0
>>526
>>522
アメリカ政府は、サウスタゴタ州兵と、白人右派民兵を総動員して、
アメリカからの分離独立を図った、危険なアメリカ先住民テロ組織を壊滅させた。
日本人右派民兵と自衛隊を総動員して、
>>1みたいなキチガイ内政干渉をしでかす馬鹿チョンは、全滅させよう。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
1973年2月、部族議会弾劾のために純血のスー族は「OSCRO(オグララ・スー権利組織)」を結成し、
AIMと連動してウィルソン罷免を要求したが、OSCRO指導者たちもグーンズに殺害されていき、
前年の1972年からこの年にかけ、居留地一帯の緊張はまさに極限に達していた。
1973年2月27日、これら居留地での度重なるウィルソンと白人による
インディアンへの暴力、テロ、差別の実態調査と内務省インディアン事務局の改革を要求するため、
スー族の伝統派とAIMはポーキュパイン村で大集会を開き、
そのなりゆきで83年前に「ウンデッド・ニーの虐殺」が行われた地が決起の場と決められ、
一行はウンデッド・ニーへと向かった。
彼らはウンデッド・ニーでインディアン相手に暴利をむさぼる白人、ギルダーズリーブズ一家が経営する交易所を占拠し、
詐取された15家族分の土地権利書、担保の年金小切手を奪い返した。
次に、午後九時、ウンデッド・ニー虐殺現場をはさんで向かいの聖心カトリック教会を占拠した。
これを発端に、AIMによる武装占拠は白人側の一帯包囲の中、戦車や戦闘機、軍用ヘリが投入され、
白人とインディアンの間に銃弾の飛び交う戦闘状態に突入し、71日間に及ぶ「ウンデッド・ニー占拠事件」となった。
この占拠は、ついにはオグララ国の独立国家宣言にまで至った。
AIMは、ウンデッド・ニーを「解放区」と呼んだ。
連邦政府との戦闘で、結果的にインディアン側に二人の死者が出た。白人側は赤十字も無視して発砲した。
占拠期間中、実に計40万発以上の弾丸がインディアンに浴びせられたのである。
また、ウンデッド・ニー外でも、運動の賛同者達が次々に殺されていった。
4月29日、交易所は焼け落ち、形ばかりの合意書に署名がされ、1973年5月8日、占拠は終わった。