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「海の昭和史 ~有吉義弥がみた海運日本~」日本経済新聞社
【200頁より】
有吉がヒトラーの網羅したアウト・バーンに目を見張り、それにもまして内運運河の整備拡張ぶり
に驚いたことはすでに述べた。ライン-ルール、エムス-ウエザー、エルベ-北海へと北流する大河
を横につないだミッテルランド・カナルの水上運輸網は壮大で、ラインの上流からドナウへの運河の
活用は見事と言うほかない。しかもスイスまで1000トン級の艀が上れるし、ミッテルランド・カ
ナルは2000トン級の艀が通っている。
アドルフ・ヒトラーの公共投資は、初めは主に土木事業で、鉄道、運河、高速道路(アウト・バーン)
の整備だったが、二年前には六百万人もいた失業者が1935年(昭和十)には、ほぼ完全になく
なった。
日本では工場や港を造ってから道路をつけるが、ドイツではまずインフラストラクチャーの整備から
入る。その合理性に有吉は感心すると同時に、ドイツの土木工学と技術力の高さ、社会基盤整備に
ついての先見性、計画性に度肝を抜かれる思いだった。こうした社会基盤整備の上に立って、いよい
よドイツは軍拡に踏み出していくが、義弥はヒトラーの手腕を次のように評価している。
「ドイツが軍事生産に乗り出したころ、英米の世論は、ナチス政権のこういった成功(社会資本整備、
失業対策)には目を塞ぎ、ヒトラーの国会主義の否定、ユダヤ人圧迫、秘密警察といった面の非難ば
かりに終始していた。ヒトラーははじめゲーリング、ゲッペルスといったナチスの首脳はみんな雄弁
で、彼らの話し振りは魅力的だった。人心収攬もうまかった。しかし相手は理知的なゲルマン民族で
ある。いくら熱弁だといっても、口先だけで丸められるものではない。また、秘密警察による圧政
だけでも、人心の掌握はできない。やはり、経済の立て直しに成功し、失業がなくなり、大衆の生活
水準が向上してきたという実績があったからこそ、国民を挙げての支持が得られたのだという事実を
忘れてはなるまい。」
つまり、ヒットラーは敗戦と大恐慌の混乱経済を公共事業で復活させ、中小企業、サラリーマン、金利
生活者など中産階級層の支持を得たからこそ、ナチズムの大勢力が実現した、というわけである。