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>>119
【続き】
山岳ベース事件
1971年から1972年にかけて連合赤軍が起こした同志に対するリンチ殺人事件。当時の社会に強い衝撃を与え、
同じく連合赤軍の起こしたあさま山荘事件とともに日本の新左翼運動が退潮する契機となった。
概要
1960年代以前の日本では学生や労働者による政治運動や政治活動が盛んであったが、1970年頃より下火となっていった。
70年代初頭にはまだ国民の間に庶民感情が強く、彼らに同情的な側面もあったが、
活動の過激化の果てに金融機関を狙った現金強奪事件や交番襲撃事件などを起こすにいたり、一般市民の気持ちは遠のいていった。
警察は一段と極左集団に対しては、全面対決姿勢をとるようになる。そうした時流や風潮に納得できない一部の若者らが、追い詰められた挙句、
より過激な左翼的活動を先鋭化させた。さらには銃などで武装するなど非合法手段をもって革命を目指す過激集団が複数誕生したが、連合赤軍もその一つであった。
そのメンバーの一部が仲間を短期間に殺したのが、この山岳ベース事件であった。「総括」と称するリンチで12名を殺戮したため、自ら集団を矮小化させたが、
その残党である5名が軽井沢の別荘「あさま山荘」に立てこもり、警察と銃撃戦を繰り広げ、警官2名と民間人1名を射殺した事件が「あさま山荘事件」である。