10/02/11 15:20:46 rethS8eI0
>>474だが、俺もトンデモ論で対応したくなった。
>芭蕉の「閑さや岩にしみ入蝉の声」の「蝉」が、どんな蝉であるか、
>単数か複数かなどにについて多くの議論があり、昭和の初期には、歌人・精神科医の
>斎藤茂吉(1882~1953)と、夏目漱石門下で芭蕉研究家の小宮豊隆(1884~1966)との間で
>激しい論戦が繰り広げられた。
>茂吉はジージーと鳴くアブラゼミであると主張し、小宮はチィーチィーと小さく鳴く
>ニイニイゼミであると主張した。山形県出身の茂吉は、山寺のことだけに一歩も譲ることができず
>アブラゼミで押し通した。
>そのうちに、これらのセミの活動時期を調べ論戦に決着をつけようということになり、
>実際に山寺に入って調査が行われた。その結果、芭蕉が山寺を訪れた
>7月13日(新暦。旧暦では5月27日)ごろ鳴き出しているのはニイニイゼミで、山寺界隈では
>このころまだアブラゼミは鳴かないということになり、茂吉が敗れた形で蝉論議は終結した。(あるページより引用)
これには後日談があり、茂吉の弟子は後日同時期に必死に立石寺近辺を探し回り、ようやく1匹の
アブラゼミを見つけて、「先生、いました。アブラゼミです。先生は負けていませんよ!!」と意気揚々帰ってきたという。
それを見た茂吉は「そうか。」と笑って、「もうういいんだよ、ありがとう」と言ったそうである。
「君が代の本歌は挽き歌(死者を悼む歌)だった」は、その、茂吉の弟子をほうふつとさせる。