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この感謝と喜びの心は、近代の日本人にまで脈々と伝えられ
てきました。明治23(1890)年、今から110年前に来日したラ
フカディオ・ハーンは、出雲の地に1年余り住み、そこで次の
ような光景を記録しています。今や柏手の音はますます数を加える。パンパンと鳴るその
音はまるで一続きの一斉射撃かと思われるほどに激しさを
増す。と言うのは、人々は皆お日様、光の女君であられる
天照大神にご挨拶申し上げているのである。
「こんにちさま。日の神様、今日も御機嫌麗しくあられま
せ。世の中を美しくなさいますお光り千万有難う存じます
る」 たとえ口には出さずとも数えきれない人々の心がそんな
祈りの言葉をささげているのを私は疑わない。[2,p102]
ハーンのこの文章は「神々の国の首都」と題されています。
ハーンは、母国ギリシャの神殿がすでに廃墟になっているのに
対し、八百万(やおよろず)の神々が庶民の生活の中に生きて
いる日本の光景に驚かされ、深く心を奪われたのでしょう。
昭和42(1967)年、イギリスの歴史家、A・J・トインビー
博士が伊勢神宮を参拝されました。清らかな五十鈴川の流れに
手をひたし、本殿前で敬虔に拝礼された後に、博士は神楽殿の
休憩室で、毛筆で次のように記帳されています。Here, in this holy place,
I feel the underlying unity of all religions.
(この聖地において、私はあらゆる宗教の根底をなす統一 的なるものを感ずる。)
地球上には無数の宗教がありますが、その根底には、神に対
する畏敬と感謝が共有されているのでしょう。そびえ立つ杉の
大木に囲まれた伊勢の神殿は、その畏敬と感謝とを最も純粋な
形で表現していると、博士は感得されたのではないでしょうか。
この「根底的な統一性」とは、ふたたび、糸に結ばれた「まが
たま」を連想させます。