10/02/01 22:40:12 IVfwXgQ8O
私は決して平和主義を偽善だとは言はないが、日本の平和憲法が左右双方からの政治的口実に使はれた結果、
日本ほど、平和主義が偽善の代名詞になつた国はないと信じてゐる。
この国でもつとも危険のない、人に尊敬される生き方は、やや左翼で、平和主義者で、暴力否定論者であることであつた。
それ自体としては、別に非難すべきことではない。
しかしかうして知識人のConformity が極まるにつれ、私は知識人とは、あらゆるConformity に疑問を抱いて、
むしろ危険な生き方をするべき者ではないかと考へた。
一方、知識人たち、サロン・ソシアリストたちの社会的影響力は、ばかばかしい形にひろがつた。
母親たちは子供に兵器の玩具を与へるなと叫び、小学校では、列を作つて番号をかけるのは軍国主義的だといふので、
子供たちはぶらぶらと国会議員のやうに集合するのだつた。
三島由紀夫
「『楯の会』のこと」より