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間違いなく蘆溝橋事件は毛沢東ひきいる共産党軍の謀略だった。当時の共産党軍は国民党軍との内線に連敗につぐ連敗で、次々と活動拠点が奪われていった。そこでこのじり貧状態を打開するために国民党軍と日本軍を戦わせて漁夫の利を得ようとしたわけです。
狙いは的中したということになりますが、まもなく一週間ほどで国民党軍も日本軍もどうも様子が変なことに気付いて銃撃戦はいったん沈静化し、日本軍は事件不拡大方針をとり現地協定を成立させる。
しかしそれから3週間後に北京東方の通州という町でシナ保安隊によって、残忍きわまりない手口で、日本人居留民約260人が虐殺される事件が起きた。その『通州虐殺事件』は戦後の教科書はもちろん歴史年表にもマスコミ報道にも出てこない。
まるでタブーのようになっているが、本当にあったことです。これで当時の日本の世論は激怒します。
さらに通州虐殺事件に追い討ちをかけるように、蒋介石の国民党軍は、上海周辺に正規軍10個師団を配置して日本に圧力を加えて挑発し、それに応戦したところ、今度は上空から同胞のシナ人、そして日本人、欧米人の区別無く、無差別に爆撃、
空襲をかけるという暴挙にでてきた。
『日華事変の引き金を引いたのがシナ側』であることは明白である。あの『東京裁判』でさえ、この大東亜戦争の端緒でもある『日華事変を不問にせざるを得なかった』のもこうした事実があったからにほかならない。
だから、日華事変に対して日本人は不当な罪悪感など持つ必要はない。とにかく『始めたのはシナ側』ですから、これは、絶対に言いつづけなければならない。
シナ事変が起きた時、急遽”大本営政府連絡懇談会”なるものだできるのだが、このあたりの対応の遅れを見ても、シナ事変がシナの側からの仕掛けであったことが読み取れる。