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黄河決壊事件
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>黄河決壊事件(こうがけっかいじけん)は日中戦争初期の1938年6月に中国国民党軍が
>日本軍の進撃を止める目的で起こした黄河の氾濫である。事件当時は黄河決潰事件と表
>記された。中国では花園口決堤事件[3]と呼ばれる。犠牲者は数十万人に達し、農作物に
>与えた被害も住民を苦しめた。
>6月7日には中牟付近で爆破が行われたが、この作業は失敗し[5]、場所を花園口(zh)
>に変更して作業が進められ、6月9日午前9時に作業が終了し黄河の水は堤防の外に流
>出した[9]。氾濫は河南省・安徽省・江蘇省にまたがる54,000平方kmの領域に及んだ。
>
>水没範囲は11都市と4,000の村に及び、3省の農地が農作物ごと破壊され、水死者は1
>00万人、被害者は600万人と言われる[10][11]が被害の程度については諸説ある[12][13][14]。
※九州(壱岐対馬・五島・種子屋久・奄美含む)の面積=39906.73平方km