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引きこもりの若者が日本社会を映す「失われた20年」 Michael Zielenziger(ジャーナリスト) 朝日新聞グローブ 2010/1/25
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初めて日本に暮らした1996年、私は世界経済を牽引する国の復活を目にすることになるだろうと期待していた。
なんだかんだ言っても、誰もが日本こそが未来だと思っていた時代だった。新幹線やビデオゲームを作り、自動車産業と
家電の世界市場の主役だった国は、ヨーロッパ、北米や他のアジア諸国とは明らかに一線を画していたのだ。
ところが、日本は自らを活性化することが出来ないまま、「失われた20年」に沈み込むことになった。
日本の長期的な停滞の予兆としてはっきりと映し出されていたのは、若者たちの状態だった。彼らは束縛されている世界の中で
モチベーションがあがらないまま働く場に不平や不満を募らせ、伝統的な社会の束縛の外に自由や機会を求めていた。
私は「引きこもり」という社会的な病を知って初めて、日本が直面している問題について理解することができた。
100万人以上の日本の若者がこの病をわずらっていると言われるが、他の社会には見られない。
よく言われていたのは、怠け者の尻をたたいて家から出させ、社会復帰させる必要があるという見方だ。もう一つは、こうした若者(8割が男性)には
精神的な問題があり、強力な薬や精神療法が必要だというものだった。
私は、こうした理解が正しいのか知りたいと思った。しかし、引きこもりに会うのは難しいことだった。だいたい、家から出ない彼らにどうやって会ったらいいのか。
私はまず、引きこもりの親を支援する会の会合に行ってみた。親たちは、外に出て苦悩を話す勇気を持っている人たちだった。カウンセラーの中には患者に会わせてくれる人もいた。
彼らは、「外の世界が非情で危険なら、家の中に閉じこもっている方が安全だ」と話した。
こうした若者を十数人、何カ月も取材した結果私が行き着いたのは、広く言われていることとは別の結論だった。私が会った「引きこもり」の多くは
聡明(そう・めい)で、繊細で、しっかりとした考え方を持っていた。やる気の出ない日々の決まり切った仕事に我慢し、日本社会が彼らに求めるように服従することに耐えられなくなっていた。