10/01/25 23:12:16 IUtlQQK+0
赤嶺 総理がまったくお答えになっていないですから、ちょっと私のほうからも経過を
説明して、さらに総理の認識もうかがいたいと思いますけれども、沖縄の米軍基地は、
まず、住民の理解を得てつくったものではないということであります。住民の土地を
強奪してつくったものです。
民家や郵便局、黒糖製造所もあった
赤嶺 沖縄は、先の大戦で国内で唯一住民を巻き込んだ地上戦を体験をいたしました。米軍が上陸をし、住民が
収容所に強制的に収容されているときに、戦争もまだ終わらないうちですよ、その間に、
軍用地、民有地を問わず接収して、米軍基地を建設をいたしました。住民が収容所から
帰ってきたら、鉄条網が張られ、自分たちの土地が基地に変えられていたわけでありま
す。
普天間基地がつくられた場所には、民家も、役所も、郵便局も、墓地も、そして沖縄で
いうサーターヤーですね、サトウキビを搾って黒糖をつくる製造所、そういうのも、普天間
基地のなかにありました。米軍占領のもとで、そういうすべてのものを奪ってつくったのが
米軍基地であります。
それだけではありません。その後、広大な土地を、戦争が終わらないうちに強奪した上
に、サンフランシスコ条約が締結された1951年以降、米軍は銃剣とブルドーザーによっ
て、抵抗する住民を強制的に排除して基地をさらに拡張いたしました。