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>>501
その理屈ならば、限られた場所でなら許容されることになる。
例示によれば、『エレキギターを弾くのが趣味のやつは駅のホームや車内で大音響で弾いていいわけ?』や
『SMプレーが趣味のやつはホームでプレーしていいんだな。』とあるが、前者ならばライブハウスやスタジオならば
文句は言われまい。後者ならば自宅やホテルなどでは文句は言われまい。
つまり、多数人が趣味嗜好として支持していないものでも、他の空間から隔離され、限定された場所では、それは
許容されると言うわけだ。
そうであるならば、喫煙者が喫煙所でタバコを吸う行為も、他の空間から隔離されている場所でならば許容されなければ他の趣味嗜好とのバランスがとれないであろう。
にもかかわらず、>>501の主張を見て見ると、驚くことに『禁止しなくても吸わないのが当然だろ』とされている。
この『当然』という言葉の根拠は一体何なのか。
また、主張後半で、喫煙者は税金の扱われ方で優遇されているとするが、個人の嗜好を多数派が制限するのだから、その嗜好に一定の保護を与えてやらなければ権力者の専横を助長してしまう可能性が生じる。
例えば、刑務所が国民の税金で運営されていることは、社会的法益の保護に加え受刑者個人の法益を著しく制限していることへの代償でもある。
民主主義国家は多数派によって運営されるが、少数派の意見を多数派の論理のみで圧殺してはならない。むしろ妥協しあい、共存する努力を多数派はしなければならない。
もっとも、少数派の意見に多数派が踊らされてもいけない。あくまで、民主主義国家は多数派で運営されなければならないからである。
したがって、嗜好を制限する代わりに、喫煙場所を税金で補う事は多数派の権力を行使する側にとっては当たり前の結論で、なんら無駄使いではないことになる。