10/01/20 15:02:13 0
希薄になった日本人の国家意識が問題の根底にある
日本人の国家意識が希薄になっていることも、この問題をややこしくしている。
普通の国家では、国民と国家のあいだに契約意識がある。国家は外敵から国民を
保護する存在だから、外国では国境が人為的なものとして強く意識される。
日本は海に囲まれているから、国境線は所与のものであり、国家意識が薄い。
個人と国家の緊張関係がないから、自分の位置がわからなくなり、外国との距離もつかめなくなる。
国民と国家の契約意識がないから、その関係は、ファナティック(狂信的)になるかゼロになるかという極端に振れやすい。
明治時代は、国家と個人の利益がかなりの程度で一致していた。国家が消えたら、
植民地にされて個人の利益も消える時代だった。その後、昭和初期の日本は、
国益追求に個人が引きずられて、ファナティックになってしまった。
戦後は、アメリカに防衛と外交を任せたために、戦前のようにはっきりと国家と個人の利益関係が見えなくなった。
日本人の国家意識はファナティックからゼロに振れ、国民と国家の契約関係は曖昧になっている。
日本人の国家意識は、戦前はファナティックになり、戦後はゼロとなったが、
本質は何も変わっていない。だからこそ、外国人参政権というおかしな話が出てくる。
安定した契約意識があれば、そもそもこんな話は出てこない。国家というものを意図的に
意識の外に置いてきたために、問題の意味すらわからなくなっているのである。
おわり