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明治25年頃、入植者が入植と共に祠をたてて村の鎮守とした(市史では市発祥地に鎮まるとされている)
その後、土地貸出を正式に願い出て認められ、住民運営の神社の体裁へ(なお、当時普通の神社は国有化されていた)
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終戦後に、普通であれば宗教法人が立ち上げられ、土地などは払い下げの形で譲渡されたが、
地域住民主体運営で常駐神職などもいなかったため法人化されず、よって払い下げもされなかった
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昭和23年に隣の小学校拡張にあたり境内地を使うことになlり、住民が神社移転先として私有地を提供
5年後、移転先の土地所有住民が、市(当時は砂川町)に無期限・無償使用の確認を取った上で土地を寄付
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結果として、1953年に市有地の上に神社(+地域の寄り合い所)という形態になる
1970年には、町内会館が同境内に建設される(市の建設許諾あり)
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2004年「とある人々」が公有地に神社はおかしいと住民監査請求を起こす
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富平については町内会に土地を無償譲渡、空知太については問題ないとしてそのまま
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とある人々が提訴するも、敗訴
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それでも諦めず今度は無償譲渡について「違憲アル」と、とある人々がまた提訴
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現在に至る
※「とある人々」については元中学教諭でクリスチャンで日教組で共産党の谷内栄さん、中帰連の高橋政義さんを
はじめとする愉快なメンバー達と言うことで…