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園部逸夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
判決に関して後に、園部は以下の発言をしている。
1999年「在日の人たちの中には、戦争中に強制連行され、帰りたくても祖国に帰れない人が
大勢いる。帰化すればいいという人もいるが、無理やり日本に連れてこられた人たちには
厳しい言葉である。私は判決の結論には賛成であったが、自らの体験から身につまされるもの
があり、一言書かざるをえなかった・・・・・」(朝日新聞平成11年6月24日付)
2007年「この傍論を重視するのは、法の世界から離れた俗論である」(『自治体法務研究』第9号[3])
略歴
1929年(昭和4年) - 朝鮮半島に生まれる
URLリンク(ja.wikipedia.org)
この園部判事は、誤った歴史認識に基づいて情緒で個人的意見を傍論として判決に
書き込んだ上に、その後、その傍論部分についてこういうことを言っている。
そもそも最高裁の憲法判断は大法廷で行うものであり、小法廷で一判事が書いた傍論は、
最高裁の判断でもなんでもないし、法的拘束力もない。