10/01/14 13:37:53 tdoxDVM80
『祝辞の中止は評価に値する』
会社員 伊藤 浩睦 (名古屋市 45歳)
先日の声欄の成人式の特集には、否定的な意見が目立ったが、私は今年の新成人パワーを大いに評価したい。
来賓の祝辞を中止に追い込み、新成人主体の式典に変えてしまった行動力には、「よくやった」と感心するしかない。
卒業式や成人式での来賓の祝辞ほど不快なものはない。
昔は高校の卒業式で「学生の本分は勉強。大学に行っても政治活動をしてはいけない」という来賓が必ずいた。
憲法で保障されている参政権を平然と無視しているのである。
成人式の祝辞でも私の知る限りでは、社会人の義務と責任を強調するのみで、権利や自由には一切ふれないのが多い。
納税の義務は果たしても参政権は行使しないとか、社員の責任は果たしても労働者の権利は口にしないといった、権力にとって都合のよい、そんな人間になれというのだろうか。
遊園地でやろうが、コンサートを開く式だろうが、ごう慢極まりない「祝辞」を式から追放し、新成人の望む形の式典になったことは良いことではないか。
それが新成人のパワーでなされたことは実に頼もしい限りだと思う。
(2002年1月24日 朝日新聞投書欄より)