10/01/10 12:48:07 11o3Q9rf0
>>353
おまえがなんと言おうが、湯浅参事の言ってる事のほうが正論。
◆「どんな理由があろうと、自殺はよくない」「生きていればそのうちいいことがある」と人は言う。
しかし、「そのうちいいことがある」などとどうしても思えなくなったからこそ、
人々は困難な自死を選択したのであり、そのことを考えなければ、たとえ何万回そのように唱えても無意味である。<>
どうしてもっと早く相談しなかったのか、と言うのは簡単だ。
しかし、ほとんどの人が自己責任論を内面化してしまっているので、
生活が厳しくても「人の世話になってはいけない。なんとか自分でがんばらなければいけない」と思い込み、
相談メールになるような状態になるまでSOSを発信してこない。
彼・彼女らは、よく言われるように「自助努力が足りない」のではなく、自助努力にしがみつきすぎたのだ。
自助努力をしても結果が出ないことはあるのだから、
過度の自助努力とそれを求める世間一般の無言の圧力がこうした結果をもたらすことは、いわば理の当然である。
自己責任論の弊害は、貧困を生み出すだけでなく、貧困者当人を呪縛し、問題解決から遠ざける点にある。
その結果、<もやい>の生活相談でもっとも頻繁に活用されるのは、生活保護制度となる。
本人も望んでいるわけではないし、福祉事務所に歓迎されないこともわかっている。
生活保護は、誰にとっても「望ましい」選択肢とは言えない。しかし、他に方法がない。
目の前にいる人に「残念だけど、もう死ぬしかないね」とは言えない以上、残るは生活保護制度の活用しかない。
それを「ケシカラン」という人に対しては、だったら生活保護を使わなくても人々が生きていける社会を一緒に作りましょう、と呼びかけたい。
そのためには雇用のセーフティネット、社会保険のセーフティネットをもっと強化する必要がある。(湯浅誠)