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>>185
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昭和期になると母船式遠距離捕鯨が開始され、日本捕鯨株式会社(現在の日本水産株式会社)や大洋捕鯨株式会社(現在のマルハ株式会社)
による南極海でのシロナガスクジラ捕鯨が行われるようになった。南極海での母船式捕鯨は、輸出用の鯨油生産が主目的で、外貨獲得源と
して重視された。既存の沿岸漁業との競合防止[7]のため製品の持ち帰りが制限されており、日本では冷凍輸送が未発達であったこともあって
鯨肉の利用は極めて限定的だった。また、鯨油タンクや船団への補給用燃料タンクを持つ捕鯨母船は、タンカーとしての運用が可能なため、
軍事上の観点からも政府の支援が行われた。
第二次世界大戦の際には捕鯨船の多くが軍に徴用され、うち捕鯨母船はタンカーに転用されて総て失われた。かくて母船式捕鯨は一旦中断したものの、
1946年(昭和21年)には再建が開始され、食肉供給源および鯨油輸出による外貨獲得源として重要産業となった。捕鯨船団は急速に拡充され最大7船団に
達し、1950年代の終わり頃からは世界最大の捕鯨国となった。戦前は国際的な捕鯨管理枠組みには参加していなかったが[8]、
戦後に国際捕鯨委員会 (IWC) が設置されるとこれに加盟した。