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1968年、わ ず か 4 0 年 ほ ど 前 の 事 件 で す
中 国 に お け る 文 化 大 革 命 の 狂 気 <<人肉を食べて出世>>
事件の一端が明らかになったのは、中国・広西省武宣県である。
ここだけで「殺され、迫害によって死んだ人間は524人、その内、食われた者は百数十人。
武宣県の食人者は推定1万~2万人にのぼる」。ここでは上からの犠牲者割り当てに応じて、
走資派や実権派をデツチ上げ、「まず批判闘争宣言があり、糾弾集会を行い、その後、人間を殺して、
生きているままに人肉を削ぎ、生きている人間が絶命すると、
人間の心臓、肝臓、胆嚢、腎臓、胸肉、骨髄、太もも、足、筋、・・人間の骨肉を切り取り、削ぎ取って、
それを煮たり、揚げたり、炒めたり、そして酒にゆっくりと漬けたりして、さまざまな調理方法で、
豊かな献立にしたのである。また<人肉宴会>では酒を飲み、杯を交わし、論功行賞をした。」、
「こうして食人の嵐がうずを巻き、集会があるごとに闘争があり、闘争があるごとに死者が出て、
死者が出れば、かならず食われ、惨劇が繰り広げられたのだ」。
例えば、1968年7月1目、武宣県の桐嶺中学副校長・黄氏は同中学の教室で開かれた批判糾弾大会に
引きずり出され、棍棒で殴り殺され、生徒から教師達までが副校長の人肉を切り取って、
大々的に食べられた。頭は殴られ、真っ黒にはれ上がり、大腿骨とすね、そして手の肉は全部、
切り取られ、肝、心臓、性器もすべてとられ、胸部は空っぼで、はらわたも流れ出していた。
そして学校の食堂や廊下、区役所の炊事場で、教員宿舎や女子学生宿舎で人肉を煮たり、
焼いたりして人肉料理の宴会が行われたのである。
女子民兵・王文留は、「人肉を食べたことによって、共産党から認められ、だんだんと地位が上がり、
最終的には武宣県革命委員会の副主任になった。彼らは人殺しから出世しただけではなくて、
人間を食って出世した」のである。
『食人宴席 抹殺された中国現代史』
鄭義(ツェンイー)著、93.11.25発行
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