09/12/31 02:49:07 GzOmprOy0
>>29
1948年2月26日生まれ、というのが大島の戸籍上の誕生日だ。しかし、本当の誕生日は4月4日だという。
<「男の子だから、少しでも早く学校へ行った方がいい」との両親の判断から、早生まれにされてしまったのです。終戦から3年目という
混乱期だったので、戸籍上の数字を簡単にできることもできたのでしょう>
大島は父・正義と母・淑子の間に、7人兄弟の長男として大阪府に生まれた。彼が2歳の時、一家は上野のアメ横に移住する。
食糧統制下の時代、戦後のアメ横一帯には、安価な食料品を売買する闇市が広がっていた。一家を率いて上京した20歳そこそこの
父・正義も、商売を始めたという。
しかし、上野界隈には、大島家が手掛けていた商売の実態を知る人は意外なほど少ない。その理由を別の商店主が語る。
「アメ横は日本人と在日朝鮮人、中国人が入り乱れて出来上がった。そのため、『闇市時代に不法占拠があった』と言って日本人と
在日の人たちが対立していたこともあり、当時は商売上、交わることはあまりなかったのです」
実は、アメ横で大島家を知る人の間では、彼らのルーツが在日コリアンであることは周知の事実だ。
大島は'65年12月、17歳の時に、父親の兄弟5人の家族とともに日本に帰化した。大島の朝鮮名は丁健伸(ジョン・コンシン)。大島の
伯父は、今も在日本大韓民国民団台東支部の顧問を務めている。
大島の親族が語る。
「正義さんは子供たちに一族のルーツをしっかりと教え込んでいた。正義さん自身も在日であるという意識が強かったようです。それは
当然のことでしょう。帰化後、一族は同胞から『国を売った』と悪口を言われたこともあった。思春期だった健伸さんの胸中たるや、察するに
あまりあります」
民団・台東支部報
顧問 丁栄玉
URLリンク(mindan-tokyo.org)