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衆院選後、全国初となった宮城県知事選。政権交代の興奮冷めやらぬ中、圧倒的な勝利を収めたのは
自民系で現職の村井嘉浩氏だった。民主、社民、国民新が相乗りで推薦した与党候補は、トリプルスコア
での惨敗、村井氏の強さだけが際だつ結果となった。村井氏大勝の舞台裏とはどのようなものだったのか。
一枚岩になりきれなかった民主県連の誤算とは。
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「村井氏がリード」-
選挙戦序盤、各報道機関の世論調査では、早くも現職候補の勝利を予感させる数値が並んだ。先の
衆院選では、候補を立てた選挙区でことごとく自民候補を打ち破った民主党。党を挙げて全面支援
する候補の支持率が伸びない事態に、県連幹部らの間には動揺といらだちが広がっていった。
村井氏は自民党県議出身。衆院選では自民候補を積極的に応援したが、知事選に関しては早い段階
から自民の推薦を受けずに“県民党”の立場で出馬する意向を表明していた。一方の民主側は、
「自民vs民主」の対決であることを声高に訴え、「県政刷新」をキーワードに衆院選の再来を期待した。
実際、民主県連内には「民主ブランドなら誰でも勝てる」との声もあり、楽勝ムードさえ漂う中、
岡崎トミ子代表(当時)も「民主への追い風が本物であるかが問われる選挙」と位置付けた。民主県連は、
県議など複数候補の中から、最終的に元農林水産省官僚で国連職員でもあった遠藤保雄氏に白羽の矢を
立てる。村井氏は県内の農村郡部からも支持を集めていたため、これを切り崩すには農業政策のプロという
触れ込みは有効と思われた。
●対立軸見いだせず
しかし、ふたをあけてみると、遠藤氏は途上国の貧困問題、外交支援などのエキスパートではあるが、
県内農政との接点は見えてこなかった。出身が仙台市であることから「伊達男」をキャッチフレーズにし、
大阪出身の村井氏との差別化を図ったが、実は直近までローマに住んでおり、県民が親しみを覚える経歴
でもなかった。
1期目で大手自動車メーカーの工場誘致などに成功し、失点のない村井氏に対し、有効な対立軸を見い
だせないまま、ずるずると差を広げられる遠藤氏。(略)
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