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戦国武将武田信玄が、家臣の山本勘助にあてた手紙2通が群馬県安中市の民家から見つかった。
勘助の記述は1969年に北海道釧路市の民家で発見された「市河文書」以来で、実像を知る
手掛かりとなりそうだ。
山梨県立博物館の海老沼真治学芸員(31)が確認した。いずれも手紙のあて名は「菅助」。
書式や字体は信玄の時代のもので、花押と呼ばれる信玄のサインもある。
1通目は1548年に書かれたもので「忠信無比類次第候」と、勘助の長野県の戦いでの活躍を
たたえ、山梨の関所で徴収した金を褒美として与えるという内容。
2通目には「小山田種物相煩既ニ極難義候」とあった。「種」は「腫」とみられ、重い病気を
患っていた小山田という信玄の家臣について見舞いに行くように勘助に依頼したもので、1551年
に書かれたと推定される。
海老沼さんによると、以前には勘助は軍書「甲陽軍鑑」など江戸時代以降の文書でしか名前を確認
できず、存在を疑問視する声もあったが、市河文書が発見され実在に疑いはなくなったという。
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