09/12/26 00:33:33 EUn47YmU0
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右翼雑誌の論客の多くが、日本のファシストの保守本流の血筋を持つ安倍晋三という薄っぺらな自称・保守政治家に、
憲法改悪や教育改悪を初めとする戦前のファシズム時代への回帰を期待していたことは、右翼論壇自体の思想的劣化を象徴する事件だったと言っていい。
右翼雑誌の思想は安倍の祖父である満州の支配者岸信介や右翼の児玉誉士夫・笹川良一らが唱えた「旧日本軍の侵略・虐殺や昭和天皇の戦争責任を一切認めず、日本軍の犯罪もコミンテルンの謀略のせいにする」ことが支柱になっている。
が、安倍晋三は、耐震偽装のアパやヒューザーや偽装請負のグッドウィル等の犯罪企業から大きな後援を受けており、さらに脱税がスクープされると即座に政権を投げ出し逃亡した。
さて、当時、安倍ブレーンとして週刊誌を騒がせた四人組がいたが、あまりにも騒がれすぎたために、実質的には、この安倍ブレーン四人組は機能することはなかったように見られる。
安倍は、首相就任直前までは、櫻井よしこ、八木秀次、中西輝政等をブレーンにして政権運営をしていく予定だったらしいが、
その直前に、八木秀次が「新しい歴史教科書をつくる会」分裂騒動を起こし、会から追放され、結果的に新しい組織を作り上げるなど右翼論壇を二分するかのようにさらに騒動を拡大し、ちょっとしたスキャンダルに巻き込まれたことが原因かどうかはわからないが、
この四人組ブレーンの話は、表に出ることはないままに、立ち消えになったようだ。
いずれにしろ、安倍内閣の目玉だった教育改革を、「身元の怪しい男」に任せるような安倍内閣だから、人を見る目がないことは明らかだったが、
しかし安倍の『美しい国へ』という著書のゴーストライターは、中西輝政か八木秀次ではないか、と言われていたことから見ても、この四人組ブレーンが、安倍とかなり深く連携していたことは間違いない。
おそらく当時は、櫻井よしこも、安倍のかなり近くにいて、それなりの政権運営への影響力を発揮していたはずである。
しかし、安倍が改革半ばにして、政権を投げ出し、実質的に自滅して以後、この四人組は、単なる三流の評論家やジャーナリストでしかなくなった、と見ていい。
特に八木秀次などは、安倍との人脈だけを売り物にして論壇の中枢へ駆け上がってきただけに、その影響力が消滅するのは早かったが櫻井よしこも同じようなものだったと言っていい。