09/12/22 22:41:35 lLsbQ6/YO
(中略)再び防衛問題に戻るが、この文化論から出発して“何を守るか”といふことを考へなければならない。
私はどうしても第一に、天皇陛下のことを考へる。天皇陛下のことをいふとすぐ右翼だとか何だとかいふ人が
多いが、憲法第一条に揚げてありながら、なぜ天皇陛下のことを云々してはいけないのかと反論したい。
天皇陛下を政治権力とくつ付けたところに弊害があつたのであるが、それも形として政治権力として
くつ付けたことは過去の歴史の中で何度かあつた。
しかし、天皇陛下が独裁者であつたことは一度もないのである。
それをどうして、われわれは陛下を守つてはいけないのか、陛下に忠誠を誓つてはいけないのか、私には
その点がどうしても理解できない。
ところが陛下に忠誠を尽くすことが、民主主義を裏切り、われわれ国民が主権をもつてゐる国家を裏切るのだといふ
左翼的な考への人が多い。
しかし天皇は日本の象徴であり、われわれ日本人の歴史、太古から連続してきてゐる文化の象徴である。
さういふものに忠誠を尽くすことと同意のものであると私は考へてゐる。
なぜなら、日本文化の歴史性、統一性、全体性の象徴であり、体現者であられるのが天皇なのである。
日本文化を守ることは、天皇を守ることに帰着するのであるが、この文化の全体性をのこりなく救出し、
政治的偏見にまどはされずに、「菊と刀」の文化をすべて統一体として守るには、言論の自由を保障する政体が
必要で、共産主義政体が言論の自由を最終的に保障しないのは自明のことである。
三島由紀夫
「栄誉の絆でつなげ菊と刀」より