09/12/16 11:11:20 ACNr09Kk0
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先ず、日本国憲法第一章第一条にある「天皇」について
ここに天皇が日本国と日本国民統合の象徴と記述されていて、
「この地位(天皇の地位)は、主権の存する国民の総意に基づく」とある。
では、この「国民の総意」とは何か。 これがポイントである。
これが分からない者は小沢氏のようになる。 この「国民」とは、例えば、
今街角を歩いている国民、または家でテレビを観ている個々の国民ではない。
つまり、現在の「横の集合体としての国民」ではない。
日本が誕生して以来、二千年にわたって日本国民であった
「縦の集合体としての国民」のことである。
歴史のなかで亡くなっていった国民を含めた国民である。
神話によって伝えられる昔から、つまり二千年以上昔から、
途絶えることなく天皇とともに生き、万葉集に歌を遺してきた無量の日本国民が
一貫して疑うことなく天皇を戴いてきたこと、これが「国民の総意」である。
この二千年の歴史の積み重なりがなければ天皇の地位はない。
これら全ての国民が戴いてきたのが、世界のなかで我が国にしかおられない
万世一系の天皇であり、この地位が百二十五代を経て今にあるということが、
即ち「国民の総意」なのだ。
ところが、小沢氏は、今生きる個々の国民の集まりが「国民の総意」と思っている。
そしてその「総意」は、選挙によって内閣を組織した自分たちが「体現している」
と思っている。 つまり、小沢氏にとっては、選挙結果が「国民の総意」であり、
結局、選挙で勝った自分たちが「国民の総意」そのものなのだ。
従って、極端に言えば、馬の骨であろうとも、土匪、馬賊、蛇頭の親分であろうとも、
自分たちが会わせようとと思えば、天皇と会見してもらう、
これが「民主主義」であり「日本国憲法」だと小沢氏は思っている。