09/12/14 23:18:44 6nv1wP800
■副国家主席、習近平の来日目的は、上海閥(江沢民)がスペインに訴えられた危機打開にある
副国家主席、習近平の来日が急に発表され、ゴリ押しされたのは先月11/29、11/26のスペイン法廷が
江沢民をチベット大量虐殺で訴えたことに影響しているのは明白である(*注1)。
上海閥は危機にあり、習近平は江沢民の密使として日本に使わされ、天皇陛下のご配慮を期待している。
習近平は新疆ウイグル弾圧(*注2)の指導者であり、反日として有名であり無礼な行為がある可能性がある。
■支那の天皇陛下の政治利用は今回だけでない。
1989年6月に発生した天安門事件は、「民主化」を叫ぶ学生や市民を軍靴で踏みにじり、
戦車でその希望を打ち砕いたことで、世界中から激しい非難を浴び、特に西側諸国の反発をうけて
支那は国際社会から孤立した。海外からの投資は完全にストップし、89年までの急成長していた
支那経済成長率は、天安門事件の翌90年では、前年比の4%台までに落ち込んだ。
実質的なマイナス成長となったのである。
■西側諸国の反発を打破したのが、1992年10月23日の天皇陛下訪中である。
78年末から改革・開放路線を推進してきた支那にとって、欧米を中心とする西側の対中制裁綱の形成は、
国家存亡の危機を意味していた。それを打破するために外交工作を統括していた
当時支那指導部の外相の銭が目をつけたのが日本である。
こうして、日本の渡辺美智雄外相の働きかけもあり天皇陛下訪中が決まったのである。
2003年秋、引退後の銭は、出版した回顧録『外交十記』で、天皇訪中当時の国際情勢を振り返り、
日本を”ターゲット”に選んだ理由に次のようなことを語っている。
「1992年に国交正常化20周年を迎える日本は、制裁を科した西側の連合戦線の中で弱い部分であり、
陛下が訪中することで、支那が西側の制裁を打ち破る最も適切な突破口になった。」
■参考資料
史上最大の対日工作 SAPIO 2007/6/13号
URLリンク(cotodama-6000.iza.ne.jp)
(*注1)2009/11/26 スペイン法廷、江沢民らにチベット大虐殺で起訴 >>158参照
URLリンク(www.epochtimes.jp)
(*注2)副国家主席の習近平は、ウルムチ虐殺事件の責任者とされている。
URLリンク(www.youtube.com)