09/12/12 23:33:08 W2nMKO6P0
>>360
実在したかどうかは関係有りません。
古事記には「神功皇后の母方の祖先は新羅王子である」とハッキリ記されているという事実をお伝えしているだけです。
なお、神功皇后の「三韓征伐」は長らく想像上の神話であって事実でないとされて来ましたが、
近年の研究では広開土王碑の碑文には当時の日本(「倭」)が朝鮮半島南半分を勢力下に置いていたと記されており、
ある程度の史実であるとの見方が有力です
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「倭による朝鮮半島支配の証拠となる資料」
広開土王碑
百殘・新羅舊是屬民、由来朝貢。
而倭、以辛卯年[391]來、渡毎破百殘、更□新羅、以爲臣民。
・「百済と新羅は高句麗の属国だったが、391年に日本が海を渡って攻めてきて
・百済を打ち破り、さらに新羅も打ち破って属国にした。」
隋書 巻八十一 東夷伝 倭国
新羅、百濟、皆以倭爲大國、多珍物、並敬仰之、恒通使往來。
・「新羅も百済も日本を大国だと考えて敬い、通商していました。」
三国史記 新羅本紀
與倭國通好 以奈勿王子未斯欣爲質
・「倭国と好誼を通じ、奈勿王の子未斯欣を人質とした。」
授均貞大阿滄爲假王子 欲以質倭國
・「均貞に大阿滄を授け、仮に王子として倭国に人質として送ろうとした。」