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敗戦により、GHQは、左翼や自由主義思想を自由化する一方で、日本の「国家主義思想」を統制。
しかし、冷戦の開始とともにGHQは「逆コース」へ転換、左翼思想を抑制する政策を取る。
1951年には、木村篤太郎法務総裁(後に法務大臣)が当時の金額で3億数千万の予算をつけ、
テキ屋、暴力団、右翼をまとめた「反共抜刀隊」を政策として立案したが、吉田茂首相に相手に
されずに頓挫した。
1960年にはアイゼンハワー大統領来日を歓迎・支援するために、自民党安保委員会が、
全国のテキ屋、暴力団、右翼を組織して「アイク歓迎実行委員会」を立ち上げ、左翼の集会
に殴り込みをかけさせた。
これらの動きに伴い、黒塗りの街宣車で大音量の軍歌を流す、典型的な街宣右翼が登場した。
しかしそのような、活動資金を得る手段として親米反左翼の暴力的活動を行う右翼は多くの国民
の支持を得ることはなく、強い批難を受けた。
自民党謹製街宣右翼(´・ω・`)