09/12/08 11:39:31 0
(>>1のつづき)
発注元の官公庁に政治家側が、特定業者を指名するのではなく「この業者はいかがなものか」
などともっともらしい理由で排除することは、さほど問題視されていない。
「小沢さんの特徴を一言で表せば、『油断しない』『足場を固める』だよ」
小沢の後援会組織の一つ、「一友会」の元構成員は、現在につながる小沢のあり方についてこう語る。
「油断しない」のきっかけは唯一の最下位当選となった昭和58年12月の衆院選だとされる。当時、
自民党総務局長だった小沢の当確判明は遅れ、「落選」の誤情報までも後援会に流れたほどだった。
このときから小沢の選挙への一点集中ぶりが加速した。
「足場固め」は当然、まず岩手県内で徹底された。「同じ選挙区で小沢派の候補者同士を競わせる。
より競争を激しくして全体の票の掘り起こしと底上げを図るのが狙いなんでしょうが、競わされる方は
大変です」(一友会元構成員)
競争に負けた者は小沢に見放され、小沢のもとを去っていく。小沢は民主党内でも、小選挙区
当選組と比例代表復活組の待遇を露骨に区別している。そして今、来夏の参院選でも2人区に
2人の候補を立てる構想を練っている。
小沢をよく知る元県会議員は、「これは小沢さんにとっては非常によくできたシステム」だと語る。
「小沢さん自身は競争したくない。ライバルは欲しくない。敵は消すんです」
小沢は、他の国会議員にも陳情した者にはそっけない対応になるという。「要はすべて『小沢を通せ』
なんです」(元県議)。
小沢に依頼しないと物事が進められないシステムを構築する一方で、敵は徹底的に排除する。
こうして「小沢王国」は造られた。
今回、民主党が採用した幹事長室への陳情一元化について、長年、小沢を支援してきた男性は
皮肉を込めてこう言い切った。
「国と岩手県を置き換えたらよくわかる。地元では小沢事務所を通す。国は幹事長室を通す。
幹事長室なんて小沢さんの子飼いばっかりでしょ、小沢事務所みたいなもんですよ」
現職県議の一人も同様に「日本全体がどんどん岩手県みたいになっていく気がする」と漏らした。
(以上、抜粋。本文はかなりの長文です。)