09/12/07 00:15:47 cR9P305W0
>>269
>規制でネを上げるのは底辺の萌えエロ文化(笑)で濡れ手に粟したいだけのつまらん連中
文化に高低があるのだろうか。
>命がけでポルノやってやらぁ、と信念を持ってるような本物は規制されようが描き続ける
美術学校を出ているのなら、美術史について勉強したと思うけど、
規制に対して逆らう力があることと、その作品が優れていることとの間には、さして因果関係はない。
サヴォナローラ独裁で燃やされた絵画は、優れているかどうかではなく、
宗教的な正しさいかんによって判断された。
そこで生き残った芸術、例えばボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』などは、
政治的な事情と偶然によるもので、実際、彼はその経験がショックだったのか、
後期のボッティチェリ作品は豊満さやエロスに欠けたものになってしまう。
サヴォナローラによって灰燼に帰した芸術は、もはや評価の対象にすらすることができない。
そしてまた、十六世紀以降、つまりサヴォナローラや宗教改革を端緒とした反動改革の流れは、
イタリアに(現在の児童ポルノ法のような)検閲の動きを作り出し、
代わって、宗教的な規制から自由な絶対君主の宮廷へ表現の中心が移っていく。
いかに気骨のある表現者でも、規制と無関係に自分の作品を書き続けるのは難しいし、
まして、臆病であったからと言って、芸術的な能力がないとは限らない。
結果、自由な空気の中でこそ表現は発達し、そうでないところでは硬直化していく。
もちろん、ロシア・アバンギャルドのように、強力な権力に対する反発が、
反抗の文学、反抗の芸術として表れることはあるが、
ロマノフ末期の「ロシア文学の黄金期」と比すれば、どちらのほうに文化的な力があったか、結論は自明だ。
表現者としての君が、規制に関係なく自分の思うものを表現し続けるというのなら、
それは僕らにとってたいへん、頼もしいことであるし、表現者として尊敬のできる態度ではあると思うが、
しかしそれは、臆病な人々から表現を取り上げることを正当化しはしない。