09/12/06 16:25:10 kJkuZ7nB0
>>366続き
かつて山口県の田布施町に大室近祐という方がいらっしゃいました。
三浦芳聖同様、彼もまた後醍醐天皇の流れをくむ南朝の子孫なのですが、最近亡くなるまでたった一人、とある“史実”を叫び続けておられたのです。
★大室近祐
「明治天皇は私の祖父の兄で、16歳のとき維新直前に長州藩主に呼び出され、
『饅頭を作りに行ってくる』といって出かけたが、京都に上って即位し、以後帰らなかった。
また明治10年(鹿島のぼる説では明治5年)に軍艦で家の水場近くにやってきて、
艦上から姿を見せ『ソクサイかあ』と叫んだ」
大室近祐の祖父庄吉の兄、大室寅之祐。
南朝の血筋を引く彼は、奇しくも睦仁親王と同い年でした。
田布施は第二奇兵隊の屯所、石城山に2キロと近く、力士隊隊長の伊藤博文は毎日のように大室家を訪ねてきたといいます。
★大室庄吉(大室近祐の祖父、寅之祐の弟)
「わしが12、3歳の頃伊藤俊輔は毎日のように家に来て兄を連れ出し、石城山に登っていた」
そして、慶応2年秋頃、16歳の寅之祐は、
「饅頭を作りに萩へ行く」と言い残したまま行方不明になりました。
(郷土史家の松重正氏は萩の杉家(吉田松陰の実家)へ伊藤博文とともに移ったのではないかと推測しています)