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神奈川県鎌倉市、住宅街の小さな畑で、無農薬栽培のキャベツは明け方の雨露でつややかに光っていた。
横浜市の自然食宅配会社で配送員を務める佐藤謙一郎さんは、泥つきの大根、鮮やかな緑の小松菜、
軽トラックに積み込んで住宅街をめぐる。日当は一日6千円。
配送先で、佐藤さんが何者だったか知る人は少ない。
4年前の夏まで、その襟元には菊をかたどった国会議員のバッジが輝いていた。
二世議員だった。NHKに記者として勤めた後、食品公害問題に取り組んだ。
経企庁長官を務めた父の地盤・横浜で神奈川県議、参議院議員を経て90年自民党公認で衆院議員に初当選した。
当時42歳。「古い政治を変える」と意気込んだ。
「青臭い議論ばかりで通用すると思うのか。濁流を泳いでみろ」同じ神奈川選出で派閥の先輩だった小泉純一郎に一喝された。
担わされたのが、国会対策委員会の副委員長。1ヶ月で22回、料亭に呼ばれた。招くのは各省庁の幹部だ。
「このなれ合いが政治の現実なんだ」
世襲議員のジレンマや現状へのいらだち。ぶつけあった同志の一人が同い年の鳩山由紀夫だった。
93年6月、若手10人で自民党を離れた。鳩山が司会を務めた「新党さきがけ」の結成記者会見で自分は結成宣言を読み上げた。
「必ずや、新しい時代のための新しい政治を実現する」
その後、鳩山が作った民主党に入った。公共事業の無駄に切り込み環境保全の力を入れた。
だが05年、小泉政権下の郵政選挙で議席を失った。07年、民主党の幹事長になっていた鳩山に「そろそろ辞めたい」と伝えた。
最後に、託すつもりで語りかけた。「政治は、生きとし生けるものすべてを中心にしないといけないね」
11月。首相になった鳩山が国会答弁で、唐突にこう切り出したと、後から知った。
「地球は生きとし生けるもの、人間のみならずすべての生命体に対して存在しているものだと思っております」
新聞やテレビはその意図をつかみかねていたが、何だかうれしかった。
歩む道は分かれたけれど、あの頃の青臭さを、まだ分かち合えてるような気がして。
ソース 29日付 朝日新聞より