09/11/27 22:58:47 bdeTRRE/0
>>904 >>909
それはちょっと難しい問題だね。
今でこそサドやチャタレイの発禁はおかしかったとみな思っているだろうけど、
当時の世論調査を見てみると、エロへのさらなる検閲強化に賛成が八割を超えている。
もちろん、60年代70年代の性風俗の実態は、それこそAVやソフトポルノの黎明期だったわけで、
調査(投票)と現実の感情の間に乖離が生じているわけだ。
表現の是非という政治問題は、人間の倫理感情に訴えかける部分が大きいので、
そうしたズレが非常にクローズアップされてしまう。
そして規制の強化は、さらにそうした本音を現すことへの忌避感情につながり、
ギャップはさらに拡大して、更なる規制拡大への道を開いていく(社会学ではこれを「沈黙の螺旋」と呼ぶ)。
それゆえ、表現の自由の保護は、多数決や民主主義プロセスから、
なるべく保護された場所に置かれなければならない。
憲法学における「二重の基準」(精神的自由を経済的自由の上位に置く)や、
「表現の自由=民主主義論」という法哲学・政治学の理念は、そうした表現の自由の特殊性を鑑みたものだ。