09/10/31 22:54:16 hm4Fx216O
>>154つづき
私は非常識を承知しつつ、この矛盾の招来する論理的結果を描いてみせたのであるが、
このやうな矛盾は明らかに、第一条に於て、天皇といふ、超個人的、伝統的、歴史的存在の、
時間的連続性(永遠)の保証者たる機能を、「国民主権」といふ、個人的、非伝統的、非歴史的、
空間的概念を以て裁いたといふ無理から生じたものである。
これは、「一君万民」といふごとき古い伝承観念を破壊して、むりやりに、西欧的民主主義理念と
天皇制を接着させ、移入の、はるか後世の制度によつて、根生の、昔からの制度を
正当化しようとした、方法的誤謬から生れたものである。
それは、キリスト教に基づいた西欧の自然法理念を以て、日本の伝来の自然法を裁いたものであり、
もつと端的に言へば、西欧の神を以て日本の神を裁き、まつろはせた条項であつた。
われわれは、日本的自然法を以て日本の憲法を創造する権利を有する。
天皇制を単なる慣習法と見るか、そこに日本的自然法を見るかについては、議論の分れるところであらう。
英国のやうに慣習法の強い国が、自然法理念の圧力に抗して、憲法を不文のままに置き、
慣習法の運用によつて、同等の法的効果と法的救済を実現してゆくが如き手続は、日本では望みがたいが、
すべてをフランス革命の理念とピューリタニズムの使命感で割り切つて、巨大な抽象的な国家体制を
作り上げたアメリカの法秩序が、日本の風土にもつとも不適合であることは言ふ俟たない。
現代はふしぎな時代で、信教の自由が先進諸国の共通の表看板になりながら、十八世紀以来の
西欧人文主義の諸理念は、各国の基本法にのしかかり、これを制圧して、これに対する
自由を許してゐないのである。
三島由紀夫
「問題提起」より