09/10/31 22:47:54 hm4Fx216O
―さて、逐条的に現憲法の批判に入ると、
第一条(天皇の地位・国民主権)天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第二条(皇位の継承)皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、
これを継承する。
とあるが、第一条と第二条の間には明らかな論理的矛盾がある。
すなはち第一条には、「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあるが、第二条には、
「皇位は、世襲のものであつて」とあり、もし「地位」と「皇位」を同じものとすれば、
「主権の存する日本国民の総意に基く」筈のものが、「世襲される」といふのは可笑しい。
世襲は生物学的条件以外の条件なき継承であり、「国民の総意に基く」も「基かぬ」もないのである。
又、もしかりに一歩ゆづつて、「主権の存する日本国民の総意」なるものを、一代限りでなく、
各人累代世襲の総意とみとめるときは、「世襲」の語との矛盾は大部分除かれるけれども、
個人の自由意志を超越したそのやうな意志に主権が存するならば、それはそもそも
近代個人主義の上に成立つ民主主義と矛盾するであらう。
又、もし、「地位」と「皇位」を同じものとせず、「地位」は国民の総意に基づくが、
「皇位」は世襲だとするならば、「象徴としての地位」と「皇位」とを別の概念とせねばならぬ。
それならば、世襲の「皇位」についた新らしい天皇は、即位のたびに、主権者たる
「国民の総意」の査察を受けて、その都度、「象徴としての地位」を認められるか否か、
再検討されなければならぬ。
しかもその再検討は、そもそも天皇制自体の再検討と等しいから、ここで新天皇が
「象徴としての地位」を否定されれば、必然的に第二条の「世襲」は無意味になる。
いはば天皇家は、お花の師匠や能役者の家と同格になる危険に、たえずさらされてゐることになる。
三島由紀夫
「問題提起」より