09/10/23 23:03:19 9VT/+r3v0
関係ないかもだが、盧溝橋事件をまとめる
7月8日の停戦協定の後も、中国軍が再び日本軍を銃撃し何回かの停戦協定が
結ばれたにも拘らず、その都度、中国が協定に違反して銃撃してくるので、
この背信行為に日本が我慢しきれなくなって、不拡大方針を捨て、最後通告を出して
戦闘をはじめたのが7月28日。
日付に注意してほしいのですが、7月7日に慮溝橋事件が起きてから、実に3週間
にわたって日本側は必死に不拡大方針をとったのに対して、
『南京政府は2日後の7月9日には動員令を出している』
この日時から見ても、支那事変を準備し戦争をはじめ拡大していったのは中国側で
あったことは明確。
しかし3週間後に北京東方の通州という町で日本人居留民約260人が虐殺される事件が起きた。
その『通州虐殺事件』は戦後の教科書はもちろん歴史年表にもマスコミ報道にも出てこない。
まるでタブーのようになっているが、本当にあったことです。
これで当時の日本の世論は激怒します。