09/10/17 23:13:48 Glb/pRX30
日本の歴史にも学んでおこう。
明治時代にも二大政党制が存在していましたが、機能を果たしま
せんでした。ここでも、「官吏の俸給の1割」がキーポイントでした。
>在廷の臣僚及帝国議会の各員に告ぐ(和衷協同の詔勅) (明治26年)
>
> 第1回衆議院議員総選挙で当選した議員の過半数は、
>立憲自由党と立憲改進党に属しており、これら「民党」議員は
>「政費節減・民力休養」を掲げて地租軽減を求め、議会では
>政府提出予算案の大幅削減を図り、政府との対立が繰り
>返されました。第4回帝国議会でも軍艦製造費問題をめぐって
>争われ、第2次伊藤内閣の不信任案が可決されます。
>
>伊藤は参内し、詔勅により政府議会の和衷協同をはかるか、
>衆議院の解散を命ぜられるか、親裁を仰ぐ上奏文を奉呈します。
>
>明治26年(1893)2月10日、明治天皇は各大臣・枢密顧問官・貴衆
>両院議長を召し、政府と議会が和衷協同し、大政を輔翼せよとの
>詔勅を発せられました。この詔勅では、今後6年間、宮廷費から
>毎年30万円を製艦費に充て、官吏の俸給の1割を製艦費に充てる
>ことも命ぜられました。
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