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暴力にみる民族的違和感
今から50年以上前の1952年6月25日、朝鮮戦争2周年に際し日本共産党が
起こした吹田事件がある。その当事者の一人が当時の思い出を次のように
語った。
「吹田操車場へ乱入デモをし、岸部から国道を吹田に向かっていたとき、デモ隊の
後方からウィポン車に乗った茨木警察の一隊がデモ隊を追い越して先頭に出よう
とした。これに対して火炎びんで攻撃を加えた。警官は車から転げ落ち、田植え
をしたばかりの田圃に逃げ込んだ。火傷した警官が逃げられずに路上に転がっている。
デモ隊はそれを竹槍で突こうとした。隊長だった私はそれを止めた。日本人は止めた。
朝鮮人は何を言うか、やってしまえと、ピストルも全部奪ってしまった。
日本人は巡査をやっつけろと火炎びんを投げたけど、殺す気はなかったから、無抵抗
になった奴を竹槍で突くことはできなかった。朝鮮人は突いた。止めたら日本人は言う
ことを聞いたが、朝鮮人は怒った。その差がいまだに分からない。民族が違うからか。
私の思想が中途半端なのか。殺してしまってもよいという所までになっていないことは
事実だ。ビビった。その差というのが、いまだに分からない。
朝鮮人教育闘争のときにも、南警察署だったか税務署だったかを襲撃した。あのときも、
日本人は勝ったらそれで終わったが、朝鮮人は頭を割るところまでいく。そのときもビビった。」
上田等『大阪の一隅に生きて七十年―私の総括―』(創生社 2002年11月)73頁