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・「ネトウヨ」の定義について、その成り立ちから本来の使われ方をまとめる。
1.00年代前半。WCなどスポーツにおける中韓の反日的・非道徳的態度がネットで暴露され、2chで反中韓が加速。
2.領土問題、慰安婦・南京など歴史認識問題、マスコミの強引な韓流ブームでさらに加速。
この時点ではまだ支持政党などは絡まず、直接的な中韓叩きがほとんど。
この頃、中韓寄りの書き込みをすると「ホロン部」と呼ばれた。
3.(最重要)一方、民主党の議員が小沢はじめ露骨に中韓寄りで、 民潭、日教組などが支援団体にいる、
参政権・移民などの推進派が多いという事実もあり、2chで反民主が固まる。
民主党のそういった部分はマスメディアでは扱いが薄く、この頃2chに浸かっていたかが
今も根強く今もネトウヨであるかの分かれ目かもしれない。
☆ この1~3の段階で、反マスメディア思想も形成されたことがわかる。
4.一方で自民は保守議員の多さで2chの支持を得、民主を勝たせないためにも自民支持が固まる。
もちろん根底は中韓嫌いのため、安倍・麻生など保守系が持ち上げられる一方、福田は袋叩き。
(自公連立はアキレス腱ではあったが、「押さえつけている」「仲はよくない」が主な反論だった)
5.しばらく、民主党寄りの書き込みをする人は中韓人であるとされ、問答無用で「在日」「ホロン部」と呼ばれた。
逆にこの頃、反民主・反中韓は2chの総意に見える様相で、反民主に蔑称が定着することは無かった。
マスメディアが民主推しなことも、裏で中韓とつながってるからだという意見が蔓延していた。
6.反中韓的な風潮が落ち着いたころ、なおも差別的な発言を繰り返す層が「嫌韓厨」と呼ばれる様になる。
しばらくして、ネット右翼という単語が出回り始める。そのまま、ネットだけでやたら暴れる右翼という意味。
この頃は思想関係なく何にでも食いつく様に見え、一時はネットイナゴと呼ばれかけた。
7 自民が参院で負け、自民派も少しずつ押され始める。
そして、08年後半。この年にようやく「ネトウヨ」という言葉が定着する。
つまるところ反民主は結果であり、その前に反中韓、それに伴う反マスコミが先にあるのがわかる。