09/08/16 12:22:30 0
「だますものだけでは戦争は起こらない」と、映画監督・脚本家の伊丹万作(十三さんの父)が
「だまされる側の責任」を問い掛けたのは敗戦翌年の春だった(「戦争責任者の問題」)。
当時、国民の間には「だまされていた」という空気が広がっていた。
学校教育や新聞・ラジオが聖戦をあおり、情報が閉ざされていた戦前から戦中。
不敗を信じていた多くの国民が、敗戦を経て
「だまされた」との思いを抱いたのも無理はないだろう。
伊丹はそんな風潮を苦々しく受け止めていたようだ。厳しく批判する。
たとえ重さは異なるにしても、責任はだます側、だまされる側の両方にある、と。
そして「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」とまで言い切る。
強い反発があるだろう。それが当然でもある。戦争に駆り立てた軍や政府、さらに加担したマスコミなど
「だます側の責任」を軽くしかねない。いまふうにいえば、「自己責任」を強調することにもつながろう。
ただし、「『だまされていた』といって平気でいられる国民なら、
おそらく今後も何度でもだまされるだろう」との言葉は重く響く。
戦後の歩みを振り返ると、最近の小泉構造改革を含め、多くの国民が後で「しまった」
とほぞをかんだ例は少なくないはず。
伊丹は「なぜそんなに簡単にだまされるのか」という怒りを胸に、
1946年9月に世を去った。きょうは終戦記念日。
URLリンク(203.139.202.230)