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「誰でもよかった」というセリフが呪言(じゅげん)のように、この社会にじとじとと
分泌している。昨年6月の東京・秋葉原無差別殺傷事件や、先月、大阪市此花区のパチンコ店で
起きた放火殺人事件の容疑者も、口を揃(そろ)えたように「誰でもよかった」と供述した。
無差別殺傷事件だけではない。昨年、東京都江東区のマンションで23歳の女性を殺し、
遺体を解体してトイレに流した男も「誰でもよかったが、たまたま隣に住んでいたので
襲った」と供述した。JR岡山駅で県職員の男性をホームから突き落とした少年も、
「人を殺せば刑務所に行ける。誰でもよかった」と言い放った。
(中略)
この社会には、「誰でもよかった」人間などは存在しない。すべての人間はそれぞれの
固有名を持ち、異なるパーソナリティーを持って、喜んだり、苦しんだり、楽しんだりして、
日々を過ごしている。そうした生身の人間を「誰でもよかった」存在だと見なしてしまう
精神の失調は、どこからやってくるのだろうか。
(中略)
誰でもよかった」というセリフを吐く容疑者が頻出する背景には、「誰でもよかった」存在と
自らを見なしていた凶行予備軍的な人間が、このセリフに取り憑(つ)かれて
実際の凶行に走った、というケースもあったのではないだろうか。このとき、
「誰でもよかった」は、凶行に走らせる呪(のろ)いや霊威がこめられた言霊となった。
正気のありようは一つしかないが、狂気はさまざまな狂気に満ちている。正気の人間が
分析するには、狂気はあまりにも広すぎる。
(後略)
*+*+ 産経ニュース 2009/08/08[04:12] +*+*
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