09/08/07 02:48:48 0
(>>1のつづき)
職業紹介の施設、機関にゆくと求人はたくさんある。でも、どれをみても「自分らしく」なさそうで魅力が
ないからヤメた。だから、ブラブラして毎日を食いつないでいるというわけ。
ついこのあいだもテレビをみていたら「六本木あたりの外資系のしごと」につくのが「自分らしい」のだと
答える青年がいたのにはびっくりした。冗談じゃない。たしかに東京都港区六本木の超高層ビルの瀟洒な
オフィスというのはおなじみの花形。カッコいい舞台にみえるが、そんな職場や職業にありつけないから
「自分らしく」ない、だからなにもしないでボンヤリしている、などという発想がどこからでてくるのだろう。
そもそも、わたしにはこの「自分らしい」ということの意味がよくわからない。どうやら理想とする職業、
収入、居住地などのイメージがテレビやマンガをつうじて頭のなかに刷り込まれ、そういう人間になりたい、
という願望が「自分らしい」ということなのだろう。それ以外の生き方は「自分らしく」ないのである。大都会の
中心部のエリートになることだけが「自分」であって、地道な職業につくのは「自分らしく」ない、というのは
非現実的である。はっきりいって、わがままである。
だいたい、人間、だれだって生まれつきの「自分らしさ」なんかあるはずがない。もちろん、さまざまな経験の
なかから生き方の理想をえがくことは自由だし、理想をもつのはいいことだ。しかし、理想が実現する
可能性など皆無にちかい。若いころ技術者になりたかったが結局は金融マンになったひともいるし、
その逆もある。古今東西、人生はおもうようにはならない。だから「自分らしさ」などということばじたい、
むかしは存在していなかった。
もしも「自分らしさ」というものがあるとすれば、それはあたえられた職業に専念して自立、自活の基礎を
つくったときにおのずからうまれてくる性質のものなのである。「六本木の外資系」などという幻想世界に
ひたるより、日本の人手不足の現実に我が身を投じて、そこに生活の意味をみつけたらいい。そこで
はじめてほんとうの「自分らしさ」がみえてくるのではあるまいか、とわたしはおもっている。(かとう ひでとし)
(以上、一部略)