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平和のバトン:島根・語り継ぐ戦争 山陰中帰連・藤原助男さん/下 /島根
◇償いの証言の意思貫く--藤原助男さん(88)=雲南市三刀屋町
◇「慰安所の女性陵辱」思い胸に
(抜粋)
「それから慰安所があるんだわ」。湖北省当陽の「老場」にある衛兵所のすぐ隣に慰安所はあった。
中国人2人と朝鮮人1人の計3人の女性がいた。経営するのは朝鮮人の男で、外出する時は4人が
一緒だった。「とにかく監視して、監禁と一緒。監禁した女性を陵辱した」
名前を覚えている女性は、中国の「沙市」出身と話していた「張輝風」さん。「輝代(てるよ)」という
日本人名を付けられていた。
張さんはきれいな身なりで整った顔立ちだった。髪は短く、水色に花の模様のチャイナ服を着ていた。
下着は着けてはいけない決まりだった。藤原さんは曹長に「頻繁に行くな」としかられ、内緒で通うことも
あった。
「張輝風に悪いことをしたと思っている。今でも」。戦犯管理所で慰安所のことを話すと涙が出てきた。
藤原さんは帰国した翌年に結婚、子供が3人、孫もいる。「張輝風はどういう生活をしておるだろうか。
慰安婦にさせられてその後遺症があると思う。それは分かっていない。そういう悪いことをしたわけだ」
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