09/07/24 08:27:03 0
(>>1のつづき)
ひるがえって日本は、第二次大戦後「戦争との絶縁」により、世界でも稀な「成功物語」を創り出した。
しかし、今、そのつけが、連帯感の欠如、情報への鈍感さという形で表れている。
同じ日本人同士でさえ思いやりの心が希薄になったのだから、同盟国をはじめ外の世界に対する連帯感、
そして彼らと分かち合うべき情報への感受性が低下するのは無理もない。
在米勤務中、日本からの訪問客にアメリカにとって、日本と中国のどっちが重要なのかとたびたび
訊かれた。そこは「アメリカの選択」というより、「日本の選択」だと私は思う。日米は同盟国だが米中は違う。
であれば、日本はアメリカの同盟国であることを行動で示す。それだけの話である。
アメリカに向かう北朝鮮のミサイルを日本が迎撃出来るかという議論があるが、「同盟」の本質は
「相互防衛」なのであり、これを無視した対応が同盟の基礎である信頼に影響を与えないはずがない。
最近出席した日米関係に関するセミナーで、「ソフト・パワー」、「スマート・パワー」について、ひとしきり
議論された。
米側のパネリストが強調したのは、「ソフト」「ハード」「スマート」のいずれにせよ、共通のエッセンスは
「パワー」であり、「パワー」抜きの「ソフト」「スマート」には何ほどの意味もない。畢竟、これらすべては
目標達成のための手段の違いにすぎないという点であった。
日本は「ソフト・パワー好き」だが、煎じ詰めるとその背景には、日本の政策実行によって日本人の人命
喪失というリスクを冒すことだけは何が何でも避けねばならない。そういう願望・信仰が見え隠れする。
人が自らの安全を守るには、平素から他者との連帯感を有し、情報を、さらにはリスクを共有して
いなければならない。国際社会においてもまったく同じである。今でも日本は、「ゼロ・リスク、ハイリターン」を
志向しながら、それでいてアメリカにとって「中国よりも重要な国」、「かけがえのない同盟国日本」で
あり続けたいと願っている。
そこには深い矛盾があり、両者間の折り合いをどこかでつけねばならないことをほとんど意識していない。
実はそれこそが避けて通ることのできない「日本の選択」だと、私は思うのである。(以上、一部略)