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犯罪の歴史
1757年、乾隆帝の清朝は、ながらく宿敵の間柄にあったジュンガル王国の内紛に乗じて、 その討滅に成功した。
当時、イリ渓谷に本営を置いていたジュンガルの民は、ほとんど 皆殺しにされた。六十万、あるいはそれ以上といわれる。
まさに「ジェノサイド」(民族 大虐殺)である。
乾隆政府は、遊牧の民ジュンガルを文字どおり根絶やしにした。
ジュンガルが、最後の遊牧王国といわれるゆえんである。・・・
現在、北疆は中国屈指の穀倉地帯であり、油田・精製・化学工業の産業モデル地区でもある。
新疆という枠組みは、純客観にいって、歴史上まれ見るジュンガル遊牧民 の「一掃」という事実のうえに築かれている。
杉山正明『遊牧民から見た世界史』(日本経済新聞社)、頁47-48