09/07/06 21:25:48 Yk/FETw60
日英博覧会の「日本余興」は、客寄せと運営資金獲得の必要から重要視された計画であった。その企画・運営は日本人が為すべきと当初英国側から勧めがあったが、
ヨーロッパ人の集客のための立案は日本人には不適と判断した日本政府は、英人「シンジケート」にそれを全面的に委託した。
委託にあたっての方針としては「本邦の品位を損するものは一切之を許容せさること」とし、委託した博覧会事業者の希望を考慮した上で
「台湾生蕃の生活状態」を含む8項目の「余興」を容認したと、後に書かれた『博覧会事務局報告』は記している。
この「余興」について朝日新聞記者として特派された長谷川如是閑は、博覧会見聞ルポルタージュの中で『台湾村』について、
「之を多くの西洋人が動物園か何かに行ったやうに小屋を覗いて居る所は聊か人道問題にして、
西洋人はイザ知らず日本人には決して好んでかかる興行物を企てまじき事と存じ候。」と批判した。
如是閑の批判の矛先は「博覧会会社」であるが、それは日本政府が全面委託した英人「シンジケート」を引き継いだ現地会社のことである。
博覧会はなお続いたが、その後展示方法を変更したという記述は「日英博覧会事務局事務報告」にはない。
まあ、人間博物館のようなものはやっていたようだな。
世耕の言っていることも良く分からない。当時欧米で原住民を台湾村と同様に、見世物にした例が多数あるが、
それをわざわざ当時の人々は、人間動物園と言ってないだろ。
表現がされていないから、無かったと言い張るのはおかしい。