09/06/30 14:12:02 0
スタッフと一緒にハローワークに行き、今の清掃会社の職を見つけた。初めて手にした「正社員」の肩書。スタッフの協力で、
家賃5万円の1Kのアパートを借り生活保護や家賃の保証会社のことも知った。
月給は15万円。初の支給日には、焼き肉店で1皿400円のホルモンを腹いっぱい食べた。
「派遣村はスタートラインを引いてくれた。あとは何とか自分の力で切り開きたい」とカズさんは話す。
一方、昨年末に派遣村に入村した東京都中野区の男性、シマさん(37)=仮名=は、求人が少ない中で仕事が見つからず、
今も求職活動を続けている。造園の仕事を中心に5社に履歴書を送った。だが、面接にこぎ着けたのは2社だけ。
うち1社は「サービス残業が前提」と言われた。しかし、10万台前半の賃金では生活が成り立たない。
シマさんは「残業代も払ってもらわないと生活できない」と訴えた。会社は「そういう人は来なくていい」とあっさり不採用になった。
低賃金を我慢して働くことも考えたが、生活できない賃金では、また住居を失いかねないと思い直した。
造園業の職業訓練が受けられないかハローワークに相談した。大学では建築学を学んでいた。
どうにか職業訓練を受けられそうだ。「急がば回れですかね」とシマさん。生活保護で住居があることのありがたさを思う。
派遣や期間工を繰り返した日々。社会は自分を疎外する場所と思い込んでいた。シマさんは言う。
「派遣村で多くの善意の人にふれ、もう一度、社会の中で頑張ってみようと考えが変わった」。
道を切り開こうと仕事探しに向かい合う。(おわり)